ヤンキーファッション

あなたは“ヤンキー”と聞いてどんな姿を想像しますか?リーゼント学ラン腹サラシのクラシックヤンキーですか?それとも長めのチャラチャラ茶金髪でスウェットのギャル男ヤンキーですか?ヤンキーと一口に言ってもその世代毎にそれぞれ流行したファッションスタイルがあります。

バンカラ

バンカラ(ばんから、蛮カラ)とは、西洋風の身なりや生活様式を指す「ハイカラ」をもじって生まれた用語です。明治期に、ハイカラに対するアンチテーゼとして粗野や野蛮を主張するスタイルとして創出されたスタイルです。バンカラの典型的な様式としては「弊衣破帽」がある。「弊衣破帽」とはぼろぼろの衣服と破れた帽子スタイルで、このファッションスタイルから、後に番長の意味に解釈され、「蛮」に対して「番」を用いた「番カラ」とされてる場合もあります。擦り切れた帽子を被り、学ランは腕を通さず羽織るだけ、口からはタバコのような雰囲気で草がはみ出てる…このようなスタイルは“ヤンキー”というより“番長”と表した方がイメージしやすいのではないでしょうか。ところで昔の番長ってなぜ草をくわえてるんだろうと疑問に思いませんか?私はバンカラについて調べているうちに口にくわえられた草の存在が気になってしょうがなくなりました。その草は一体なんなんでしょうか。おいしいのでしょうか?おいしいと言えばツツジの花が思い出されます。今の子はあまりやらないみたいですが、ツツジの花の蜜っておいしいんですよね。でもツツジをくわえた番長は居ません。味は関係ないんでしょうか。そんな疑問が尽きなくなり、少し調べてみました。すると、口に何か咥えると落ち着くので草を咥えているっていうおしゃぶり説、タバコが無くて口が寂しいので草咥えてる説、木枯らし紋次郎の爪楊枝を真似てる説など、色々な説が出てきました。草ひとつとっても色々な事情があるんですね。

ツッパリ

1970年代の不良少年は主に東京など関東地方でツッパリ(突っ張り、つっぱり)と呼ばれていました。不良少女はスケバン(女番、スケ番)と呼びます。ツッパリは、シンナーや覚醒剤の乱用事件や、喧嘩から発展した暴力事件を引き起こし、暴走族の流行とも呼応して特攻服などのファッションを生みました。

1980年にデビューしたロックバンド横浜銀蝿は、この「ツッパリ」スタイルをコンセプトに活躍したグループである。2ndシングルの「ツッパリHigh School Rock'n Roll」は文字通りツッパリをテーマとした曲であり、3rdシングルの「羯徒毘璐薫'狼琉」は暴走族をテーマに取り上げ、この前後の時期のスタイルを象徴しています。

ヤンキー

1980年代後半から1990年代初頭にかけて、不良少年少女全般を指して「ヤンキー」と呼びました。なお、関西では1980年代前半期にはすでに「ヤンキー」と呼ばれていた例もあり、1983年7月21日に発売された嘉門達夫の1stシングル曲「ヤンキーの兄ちゃんのうた」におけるヤンキーとは「不良少年」を意味しています。

当時のヤンキーの男性はあのリーゼントヘア、「ドカン」「ボンタン」などの幅の広いズボン(変形学生服)や、派手な色柄でオープンカラーのカッターシャツを好み、派手なヘップサンダルや突っ掛け(便所サンダル)もしくビーチサンダルや雪駄などを好んで履くのが特徴的です。 ヤンキーの女性は、1970年代のスケバン時代からの傾向ではあるが、制服・私服を問わずロングスカートを好み、特にタイトなプリーツスカート「ロンタイ」の流行が特徴的です。 一般人から見ると特異なファッションセンスを持つため、ヤンキーかそうでないかは見た目で判断しやすい点が、後の年代のヤンキースタイルとの違いと言えるでしょう。

この時代の典型的なヤンキー像としては、1983年に連載が開始されたきうちかずひろの漫画作品『ビー・バップ・ハイスクール』(講談社『週刊ヤングマガジン』掲載)が挙げられます。これを原作として、清水宏次朗・仲村トオルの主演により1985年から1988年にかけて計6作品の劇場公開映画が制作されヒットシリーズとなりました。なお『ビー・バップ・ハイスクール』は2003年まで連載されており、1990年代にも再度映画化され、その続編がVシネマシリーズとなったほか、アニメ版(OVA作品)も制作されました。2000年代に入ってからも、テレビドラマの特別番組が2004年・2005年に制作されるなど、時代を超えるヒット作品となりました。

ロックバンドの氣志團は1997年に結成され2000年にデビューしたバンドであるが、ヤンキーの衣装・意匠を用いて「ヤンク・ロック」を標榜しています。

後の年代には、この時代のスタイルを指して“古典的なヤンキー”の意味合いから「クラシックヤンキー」と呼ぶ場合がある(由来的には、次の時代のスタイルを「ネオヤンキー」等と称した事に対比して生まれた語句)。

ヤンキースタイルの衰退

1990年代に入ると、「トレンディ御三家」と呼ばれた吉田栄作・加勢大周・織田裕二らファッションリーダーが登場します。トレンディと言えば彼らですね。ストレートヘア、ストレートジーンズに白いシャツやブレザーを合わせるなどの清潔感を意識した「アメカジ」ファッションが流行し、アイドルが髪にパーマをかけなくなり、スリムジーンズが時代遅れになっていきました。

バブル崩壊から90年代末にかけての流行の中で、ボンタン、ドカン、リーゼントなどのクラシックヤンキースタイルが完全に時代遅れとなりました。 アメカジ=渋カジの流行の中で、以前にはなかったスタイルの不良集団であるチーマーが出現しました。 いわゆる「渋カジ」の中心はカレッジスタイルであったが、チーマーたちはネイティブ系やバイカー系、ミリタリー系、ワーク系などより男性的な雰囲気をもつスタイルにシフトしていき、それらのテイストを取り入れたストリートファッションも生み出されました。

昔ながらのヤンキー的スタイルは急速に衰退しつつあったものの、ヤンキーを構成する不良少年たちが消滅した訳ではなりません。その一方で、彼らの人間関係も上下関係や組織的な統制を重んじない傾向が始まりました。手持ちの携帯電話には大量の友人や顔見知りの電話番号が記録されているが、その中の一人一人とは特に深い交友関係を持っているわけではないことがこのタイプのヤンキーの典型例と言われています。その他の要因としては、例えば片瀬江ノ島駅前暴走注意事件以降の警察による取締りが厳しくなった事や、平成不況の影響でバイクや自動車の購買力が低下した事なども、暴走族タイプの統制的不良グループの衰退に拍車をかける要因となっています。

1999年には雑誌『Men's egg』が創刊され、派手なルックスを強調した“ギャル男”が登場。不良の中でもこのスタイルに変化する者が現れはじめました。

ヒップホップヤンキー

カジュアルスタイルの不良では、一般人とファッションで差別化するのが難しく、ヤンキーにとって重要な自己顕示欲を満たすことができません。そのため、2000年代には、アメリカの低所得者層の不良子弟(ギャングスター)のそれに似た様式が日本に流入し、カラーギャングの流行とも呼応して、いわゆるヒップホップ系ファッションをしたヤンキー「ヒップホップヤンキー」が誕生しました。

カール・カナイのジャージを着るのがヒップホップ系の愛好家たちの間で流行していたが、2000年代に入るとより多くのヤンキーの間でガルフィーのジャージが流行しました。 ヒップホップヤンキーの典型的なスタイルは、オーバーサイズのジャージやジーンズなどのボトムのウェストを股下までずり下げ着用する「腰履き」が主流です。また、これをファッション誌などのメディアでは、「B系」と称する場合が一般的であるが、その場合は必ずしもヒップホップヤンキーのことを指す表現ではありせん。

ただし2010年前後の時点では、着用の際の工夫を凝らさずともあらかじめ腰履きに見える手軽さと履きやすさが特徴である「ヒップホップジーンズ」(ローライズだが股上が深いシルエット)などが流通しています。かつてクラシックヤンキーが好んで履いた「ボンタン」との類似点が指摘されています。ただ、このスタイルは、一見してヤンキー的メンタリティを持ち合わせていないと思われる若者の間にも広く受け入れられ、外見的にはヤンキー、ヒップホップ愛好者、そのどちらでもない一般人の区別があいまいで困難になりました。

悪羅悪羅

「悪羅悪羅」(おらおら)とは、雑誌『egg』による造語です。悪羅悪羅スタイルはギャル男の影響もあるが、黒を基調にメタリックゴールドのロゴを入れたセットアップのジャージやタンクトップなど、デザインは和彫りやトライバル、オールドスクールなどのタトゥ風など、より力強さや不良っぽさを感じさせ周囲の人達を威圧するスタイルを特徴としています。このようなファッションは、いわゆる地下格闘技の選手達とそれを支持するヤンキー達が愛用しています。また、悪羅悪羅系ファッションの女性のことは「姐ギャル」と呼びます。

疾走、ヤンキー魂。で
ヤンキーライフ
送っちゃうんで
夜露死苦